LINEを消すか、死ぬか

という状況または精神状態に陥った場合、当たり前だが迷わずLINEアカウントを消そう。

限界まで追い詰められている場合はそんなことを言われるまでもなく即削除だろう。
ここで言及したいのは迷っている場合だ。

現状、LINEのアカウントを削除すると復活させる術がない。
Twitterであれば30日以内、Facebookならば永久に、再ログインすればアカウントが復活する。
LINEにはそのような救済措置や出戻り援助が存在しない。

だからこそリスクが大きい。

私は「死ぬか」とまではいかないが、とにかく今すぐLINEを消したい!という感情に支配されたことがある。
しかしアカウントの復活が完全に不可能であると知り我に返った。

精神が混濁しており大量の未読無視トークを抱えていたため、人間関係上のリスクなどは正直この際どうにでもなれ状態だったのだが、気がかりな点があり即削除には至れなかった。

自殺等を心配されて警察沙汰にされたらどうしよう。

自分のことしか考えられない状態だからこそ思い至ったリスクだ。
しかしこれはLINEアカウントを消そうとしている人間にとって最大のリスクだ。

それだけでなく、やはり死ぬつもりはないため、連絡を取るべき時期のグループから抜けるのは不都合だった。

特定の対象を残して全員ブロックするという手もある。別のアカウントを作るだけでも良かった。
しかしLINEアカウントを消したいという状況は、LINEアカウントを消すことでしか解決されない。

そこで編み出したのは、別のアカウントを作ってから今のアカウントを消す、という方法だ。

①新アカウントを作る
LINEアカウントは携帯電話番号を用いて作成するため一つしか持てない、ということはなく、Facebookアカウントを元に作成することも出来る。
Facebookアカウントがなければ適当に作る。

②新アカウントで今のアカウントを友達に追加する
何度もログイン・ログアウトを繰り返すため面倒ではあるが、とにかくIDやQRコードを用いて今のアカウントと友達になる。

③今のアカウントで新アカウントを必要なグループに招待し、新アカウントで招待を承認する
入っている必要のあるグループや、新アカウントで友達に追加したい友達の所属しているグループに、新アカウントをセルフ招待する。
共通のグループに所属していないけれど新アカウントで繋がりたい友達がいる場合、連絡先を貼る機能を使って直接新アカウントを教えるしかない。スマホを変えるフリで通そう。

④今のアカウントで必要な処理を済ませる
新アカウントを入れたグループは退会していい。そうでないグループを退会するか、退会せずに所属し続けてunknownのメンバーになるかは直感で選ぶ。私はほぼ退会した覚えがある。

⑤今のアカウントを削除する
思い切る。

⑥何食わぬ顔で新アカウントを使う
訊かれたらスマホ変えたフリ。

これは我ながら合理的な手段だと思う。
基本的には人間を切り捨てる発想であるため、自分を守るべき時や精神がまずい時にだけ推奨したい。
勢いで即削除するより何倍も親切であることは確かだ。

ただ、④と⑤の間にもう少し逡巡を挟めれば良かったなと後になって思った。良かったなというだけで、実際に出来るわけではなかったから後悔ではない。
あくまで余裕があれば以下の確認を推奨したい。

・LINE MUSIC等、LINEアカウントを基盤としたサービスやアプリが停止するが本当に良いのか
・課金スタンプや着せ替えが全て消滅するが本当に良いのか
・個人間の写真アルバムやノートに二度とアクセスできなくなるが本当に良いのか

▷良い

良いならばオーケー。消そう。過去の私も、どこかで悩んでいるあなたも、将来このような局面に立たされるかもしれないあなたも含め、LINEアカウントを消す全ての人類を今ここで私が赦す。

大学休学はものすごく簡単だった

大学を退学しよう!

去年の秋頃そう思い、まずは自分の大学の制度を調べた。
どうすれば退学できるのか。

退学はとても簡単そうだった。

①退学届の紙を窓口で貰う
②必要事項、退学動機、保護者のサインを記入する
③学生証と共に窓口に提出する
④退学する学期分までの学費を納入する

私の大学ではそれだけのようだった。
特に面談を設けられたり、厳しい審査が待っているわけでもなさそうだ。

一番ネックなのが①窓口で貰うだった。
どんな罵声を浴びせられるのか、あるいは懇切丁寧に退学はやめろと説かれるのか、不安で仕方がなかった。

それでも、その紙一枚で自分の状況を変えられる。その一枚がなければ変わらない。その魔法の紙がないと死んでしまう。
それだけを胸に、精一杯の変装を施して大学窓口へ向かった。

「あの〜...退学届...欲しいんですけど...」
出迎えてくれたオバチャンに勇気を振り絞って告げた。
さあどう来る?何を言われる?

「あーハイハイ」
オバチャンは何も言わず、さっさと紙を取りに行った。
記入事項をさっと説明し、さっと渡してくれた。

5分もかからなかった。
5分もかからず、私は魔法の紙を手に入れた。

退学したいけれど退学届は窓口でしか貰えなくて行くのが怖いという人がいたらば、とりあえず行ってみなと背中を押したい。
おそらく対応は大学によってまちまちで、懇切丁寧に説かれたり即面談を設けられる大学も存在する。
日頃から大学側と学生との間に一定の距離感を感じられる大学であればおそらく大丈夫だ。特に学生数の多い大学は。超難関大学に関しては分からない。

次の段階は親とのファイトなのだが、これは普通退学届を貰う前に始めておいた方が良いだろう。
私は言葉で伝えるのが苦手な性分であるため、インパクトのある魔法の紙を先に武器として調達したのだが、かなりショックを与えてしまった。
長い冷戦になったが、その時私が軽いうつ状態であったことで一旦大学を休むことを認められた。退学届は一旦封印された。

しかしその後、重大な事実に気が付いた。
休学制度に関してだ。

退学・休学は学期末にしか成立しない。
私の大学を退学する場合、全然大学に行っていなかったとしても最後に所属していた学期分までの学費を払わなければならない。事前に払っていた場合は戻って来ない。
一方休学であれば休学費は発生するものの学費は不要だ。事前に払っていた場合は差額が返ってくる。

私の大学の場合、以上の制度を組み合わせれば学期末まで休学→そのまま退学という流れを生み出すことが可能であり、そのように退学する場合は休学費以外の学費を納入する義務が発生しない。

つまり、同時期の退学であっても、ただ退学するより休学してから退学する方が遥かに費用が抑えられる。

そういうわけで、私は再び窓口に赴き休学届を貰った。
要領は退学届とほぼ同じで、書いて出せば通る。事由欄にまともな文章を書けば確定だ。
ものすごく簡単だった。

退学したいけれど授業料全額納入が条件だから退学しづらいという人がいたらば、このやり方が可能であるかどうか大学側に問い合わせてみなとアドバイスしたい。

ちなみに、退学したい学期分の学費をまだ納入していない場合、休学費すら払わず無料で大学を抜け出す手はある。除籍だ。
除籍の条件はまちまちだが、学費を納入しない・履修登録をしない・単位数が極端に少ない等が存在する。
除籍の場合、大学に所属していた事実が抹消されるため「大学中退」の資格は得られず大学入学以前の「高卒」等が最終学歴となる。また、退学生であれば可能な再入学が出来ないという場合が多い。
特に気にならなければ活用しても良い制度だろう。

さて、結局私は大学を退学しなかった。
年度末に退学届・休学届・復学届のセットが律儀に郵送されて来て、好きな紙を選んで送り返すだけで手続きが成立するというなんとも楽なイベントが発生したのだが、迷いに迷ったあげく休学届を選んだ。

学生という身分のおかげで免除されるものがあまりにも大きい。
退学に急を要しないのであれば制度の限界まで休学を続行することをオススメしたい。

この先どうするかは未定だが、現在の私は休学生だ。
年度始めに配られる、今年度を示す年度シールが去年のままになっている学生証を使って学割などを利用してしまっているが、法的には問題ないはずだ。

舐め腐ったライフハックで申し訳ないが、私もこのようなブログを沢山読んで助かった一人であるためインターネットに放たせて頂く。

みんな、死んで人生やめるくらいなら大学やめよう。

どうしても大学をやめたかった

から、というだけの理由でもないが、大学をやめることにした。

大学3年次に下した決断は一旦「休学」という形で保留になり、9ヶ月経った今も私は現役休学生だ。

大学をやめたいという思いは、いっそ大学に入る前からあった。
まず大学に入るには大学受験が必要で、大学受験がとにかく嫌だった。

今振り返ってみると大学受験に費やした...6年間、中高6年間と言える、6年間は、一体なんだったのだろう。
費やすというほど勉強はしていないが、中高一貫の進学校だったこともあり、6年間大学受験への薄いプレッシャーに支配され続けていた。

勉強の内容がつまらん...もっと遊べる時期なのに...作業的な試験対策に何の意味が...という気持ちも有り余るほどあった。

でも一番嫌だったのは、受験日という一点の到達点に向かって自分の毎日が存在している、という感じ方を強制される心地だ。

今日は今日のために、明日は明日のためにあると、あの頃の自分はきっと知らなかった。
今日は6年後のために。今日は5年後のために。今日は3年後のために。今日は来年のために。今日は半年後、3ヶ月後、来月のために...

大学受験直前の年末年始を覚えているだろうか。
何か楽しいことがあっただろうか。

たまたま周りに大学受験をしない人間が一人もいなかった。たまたま両親が裕福で恵まれていた。だから私も大学受験を完遂した。

逃れられない苦痛の中、大学に行きさえすれば自由が手に入ると信じていた。
興味のある勉強だけして、興味のあるサークルに入って、好きなだけ遊べる。
学生起業なんてしちゃおうかしら。

受験生を励ます大学生のメッセージは大体そういうものだった。
とにかく大学は楽しくて良いぞ〜と。

当時の私はそれより仕事をしたいという思いを抱えながらも、楽しい大学生活を信じて校門をくぐった。
比較的チャラついた中堅大学の、文系の楽な学部だ。

最初は楽しかった。

講義は大変だけれど毎日遊んでハッピー。
変なサークルに騙されたりしたけれど面白い人たちのいるサークルに巡り会えてラッキー。

でもかつて描いていた理想の大学生活にあった「楽しい勉強」や「興味のあるサークル」や「学生起業」はそこには無くて、段々と歯車がずれていった。

あまりにもつまらないから講義をサボるようになり、成績がどんどん下落していった。
通勤電車が辛い。朝起きられなくなった。
優秀な友人達との距離を感じるようになった。
サークルも部活のような雰囲気で仕事をさせられる。
唯一の癒しはオタク活動だけれど、思ったより稼げない。

大学に受かったのはたまたまだけれど、何か明確な熱意があってこの学部を選んだはずだった。
でも期待していたような内容ではなかった。

大学生活の自由を渇望していただけで、大学に対する熱意は無かった。
入り口からしてずれていたのだ。

大学2年生の終盤に差し掛かると、「就活」というワードが飛び交うようになった。
既に就活対策の取り組みが始まっているらしかった。

私はそもそも起業するか〜というつもりで生きてきたなあなあな人間だから、完全に無視していた。

3年生になり、いよいよ就活に向けた説明会や講座が開かれるようになった。
全然志望していなかったけれどそこにしか採用されなかったがために入ったゼミも始まった。

友人に誘われるがまま、就活対策の講座に座っていた。
私は、顔を上げられなかった。話も聞いていなかった。
私はそこにいたくなかった。
私は違う。そんなことやりたくない。揃いのスーツを着て、記号として評価されて、何が就活だ。
面接日、あるいは入社式という一点の到達点に向かって自分の毎日を存在させてたまるか。

私は弱いくせに理想だけは高いから、負けだと思った概念に負けたくなかった。
起業などをしたい気持ちも大分薄れはしたが残っていた。

夏が過ぎ、秋になり、学園祭に向けた準備が始まった。
授業が前期より格段に忙しくなり、いくつもの課題を抱える毎日になった。朝も早かった。
ゼミの課題も本格化し、わけのわからない作業を必死にこなすようになった。

学園祭の準備というのが、自分の実力を遥かに超える難易度のとある創作物だった。
時間はそこそこあったのだが本格的なスタートを切るのが遅れて大変なことになってしまった。自己責任だ。
私はそれを任された団体を非常に気に入っていたため決して妥協したくなかった。(その人達のために本当はこのことを書くべきではないけれど、嘘は書けなかった)

以上を抱える生活は、万年怠け者だった私には大変な負荷のかかるものであった。

そんな中でも「就活」の足音は日に日に大音量になっていく。
大学でも家庭でもバイト先でも、足音は鳴り続ける。

私は、紆余曲折を経て、死を選ぼうとした。

正確な診断はしていないけれど軽度のうつ状態であったと思う。
精神と身体の異常を自覚していた。

自覚していたからこそ、自分が正気を失うのが怖かった。
やっぱり私は死にたくなかった。

ある夜、全てが辛過ぎて夜道で泣き出してしまい、そのままベンチに座り込み、はっきりと思いついた。

退学しよう。

学園祭が終わったら退学して、東日本を抜け出して大阪あたりに移住しよう。
そうしたらもう就活の流れに流されない。
だから学園祭まで生きろ。
授業はもう全部出なくていいから学園祭の創作物をやり遂げよう。

それだけを希望に、私は生き延び、やり遂げた。

私は、どうしても大学をやめたかった

どうしてもブログを書きたかった

大学を休学して9ヶ月ほどになる。

私はそれまでの人生で社会のレールから外れたことは一度もなかった。
社会のレールに対する反発心は昔から抱いており、中学受験も大学受験も大学も内心やめたかったのだが、特にその気持ちを爆発させる機会もないままストレートに大学3年生まで駒を進めた。

去年の秋、様々な状況が重なって退学を決意した。
経緯に関しては今回は触れないが、気持ちを爆発させる機会がたまたま訪れたということだ。

結局退学ではなく休学することになり、とにかくそこで私は初めて社会のレールから外れた。
社会のレールというのは曖昧な表現だが、「22歳で4年制大学を卒業し就職する」という理想的な黄金コースを志す人間に囲まれて育ってきたため、私にとってはそれが"社会のレール"だった。

実際に社会の外れに身を置くのは、社会の真ん中とは全く別の世界観に放り込まれるような心地なのだと知った。

家庭、バイト先、サークル、友達、街、メディア。
どこにいるのもなんだか怖い。常に責められているような気がする。後ろめたさや気まずさを絶やせない。
雰囲気だけでなく、実際言葉の節々に"壁"や"断絶"を見いだせる。

私の身の回りで無意識に交わされている言語は、レールを外れていない人々の常識に根ざしたものなのだと、初めて気付いてショックを受けた。

そんなの、社会のレールに反発していただけの頃は全く気付けなかった。
例えば浪人して連絡が取れなくなってしまった友人の気持ち。想像して分かった気になっていたけれど、何一つ分かっちゃいなかった。

存在自体を認められていないような感じ。
居心地の悪さ。疎外感。孤独。
そういうものが常に纏わりついて、なかなか心が休まらなかった。

今まで見えなかったものが見える。
今まで聞こえなかった声が聞こえる。

そんな日々の中で、私は、社会の外れを楽しく生きる人たちを見つけた。

インターネットには、社会の要請を無視してうまくやっている人が意外と沢山いた。

ある人はニートを集めてシェアハウス。ある人は郊外に隠居。ある人は山で一人暮らし。山奥で共同生活。田舎に移住。海外に移住。キャンピングカーで津々浦々。会社を辞めた。農業を始めた。休学中。辛いけどなんとか生きている。

そんな人たちの生活・考え方を、Twitter・ブログを通していくらでも受信することが出来た。
似たような世界観を生きている人がどこかにいるのだと、毎日でも確認することが出来た。

それが私にとってどれだけの希望であったか。
どれだけ心を支えられたことか。

一人では押しつぶされそうな空気の中でも、同じような空気を吸っている誰かの声がどこからか聞こえてくれば、ふっと楽になる。

当時は無意識だったかもしれないが、そのようにして数ヶ月を過ごした今ならはっきり分かる。
私はインターネットに救われた。

そして考えるようになった。
今度は私も誰かを救いたい。

私もこちら側の気持ちが少し分かったから。まだ何も安定していないけれど、レールの外で自分なりに生きていきたくてもがいているから。色々あって辛いけれどインターネットをする程度の元気はあるから。
だから、インターネットを通して、私の経験、想い、毎日を世界に放てば、たまたまそれを目にした私と同じような要素を持つどこかの誰かを救えるかもしれない。

別に大げさな話ではない。
心を少しほっとさせたり束の間の楽しさを提供したり、そのくらいのことでも十分救いになる。
それが分かったから、私もそういうことをしたい。

ためになる高尚な文章を書けなくても良い。
自分と遠くないスタンスの人がどこかで生きているという実感を得られるだけで嬉しくて、知らないニートの人が朝ごはんを載せているのを見るだけでも救いになる。
それが分かったから、私もそういうことをしたい。

今まで通り救われているだけでも良いけれど、ひょっとしたら私にしか救えない人がいるかもしれないし、私が私自身を深めたり広げたりしていくためにも、私の生活を私の中だけで完結させるのはやめようと思った。

だからどうしてもブログを書きたかった。

何を書けるかは分からない。
大した記事は書けないかもしれない。
一行の日記しか書けない時もあるだろう。
それでもいいから、私が私として書けるもの、あるいは撮れるものを、雑に発信しまくろうと決めた。

そういうわけでブログをやっていく。
まあ、肩の力を抜いて、自分がだるくならない範囲で、長く続けられるブログに出来たら良いと思う。