Key作品の感想など

ヘブバン[第四章後編]感想

ヘブンバーンズレッド第四章後編『凍てつく息吹と爆ぜる感情』備忘録

※ネタバレ

 

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自分の全てが他者のコピーと知って、救世主たる力がないと知って、戦う心を折られてしまっためぐみの物語はそこで終わりなのか。人類を救うセラフ部隊の、茅森の戦譚から弾き出されてしまうのか。

第四章前編の幕引きがあまりに衝撃で、このままめぐみはこの物語から、あるいは読者の自分がめぐみの物語から断絶されてしまうのだろうかと恐れた。断章でタマたちは信じて待つ態勢に入っていたけど、どう考えてもそう簡単に覆せる決断ではなかったし、めぐみを戦地に引き戻して戦わせるのは酷でしかないように思えた。

あれから9ヶ月、断章から半年以上、ヘブバンに触れたり触れなかったりしながら送る日常の中で、アイデンティティの根幹が奪われることについてふとした瞬間に意識しながら過ごし続けていた気がする。めぐみの想いに寄り添うほど、茅森達が仲間を拠り所に前を向けた意味も分からなくなっていた。

後編が来ると聞いてもその帰結に何が待っているのか分からなかった。何をしたってどうにもならないものはある。どうにもできない現実を描いてきたのがまさに麻枝准という作家である。それでも、「その先」の生き様を逃げずに真っ向から照らしてきたのも麻枝シナリオだった。

4月28日。意を決して第四章後編を開始すると、独りでバスに揺られるめぐみの姿が映った。あの別れの先のめぐみを初めて、こちら側としては9ヶ月ぶりに見た。それだけで心が激しく揺れる。

茅森のプロローグを挟んで逢川sideに切り替わった瞬間のやってくれた!!感は忘れられない。一本軸から弾き出されるのなら軸を二本にしてしまえばいいのか。めぐみは本当に帰って来るかもしれない、だとしたらここからどんな日々が待っているのか。

刑務所のような施設でドーム生活への適応準備をしていためぐみの独白は嫌に質感がリアルでヒリヒリした。現実世界でも心が壊れる前に逃げることは基本的な生存戦略だけど、逃れてハッピーエンドではなくその後もその後で面倒な膨大な人生が待っている。めぐみは自らの偽りの記憶を更に偽って生き続けなければならない。

習志野ドームに来たばかりのめぐみの戸惑いはプレイヤーの自分共々感じるものだった。ずっと基地の中で過ごしてきて、ドームのことは司令官から伝え聞く情報しか知らず、市井の人々が実際どんな暮らしをしているか想像出来ていなかったし、それは物語の外の話としてこれからも区切られ続けると思っていた。(個人的には本当にドーム状の建物で避難生活のように暮らしているのかと思い込んでいた)

戦争で物資もエネルギーも枯渇し、それこそ現実世界の日本の戦後、あるいは戦前のような生活様式にまで戻って、習志野ドームに関しては電力不足のギリギリの水準で暮らしている。

後で分かることだが温暖化も進んでいるようで、仮に今から29年後とすると2052年の地球環境というところだろうか。現実世界において環境問題を本当に食い止めるには生活様式を相当昔のものに戻す必要がある(が誰もそうはしない)だろうが、それは戦争という外圧でようやく達成できてしまうものなのかと複雑な気持ちになる。

毎日カフェテリアの豪華な食事を食べ、洋服店にゲーセンに映画館まで揃った基地内で手厚く英気を養わされていためぐみには想像を絶する現実だっただろう。めぐみが元々生きていた時代の記憶と照らし合わせても、あらゆることが諦められた後の暮らしとして映るはずだ。

めぐみが逃げたその先というのは、セラフ部隊員として厚遇されていたあの基地の外の世界であり、実感の伴わないまま守っていた人間の営みそのものだった。何度も「なんか、すまん」と心の中で謝ってしまうような現実がそこにはあった。そんなめぐみにとってドーム住民が概念としての「ドーム住民」からアキばあさんやルミ達一人一人の顔に変わっていく日々を、めぐみと一緒に体感していける予感がそこには満ちていた。

クセ強なアキばあさんや聡明でかわいいルミと出会い、習志野ドームの慎ましくもクレイジーな暮らしに入っていくのが面白かった。今思うと最初は町の構造も分かってなかったし、新生活への不安が残るアウェイな気持ちだったのが懐かしい。

初めてミミズで魚を釣れたあの日。あかん懐かしい。初めて雑貨屋と会った衝撃も凄かった。居酒屋ノリのバー屋にちゃんこ屋ノリの氷菓子屋。CLANNADの春原のチャラ男版みたいなスクラップ屋に良い味出してるマセガキの斡旋屋。祈祷屋に天秤水平化屋に障子滑り良くさせ屋・・・次から次へと現れるすごい麻枝シナリオ住民っぽい○○屋たちがいちいち面白い。今となっては故郷のようなあのドームの全てが新鮮だった。

言葉では聞いていたセラフ放送の現場を実際に観られるのも感慨深かった。やはり顔は分からないように映しているというのが答え合わせになっていて細かい。そしてセラフ放送で茅森sideに切り替わった瞬間これまたやってくれた!!と唸らされた。

めぐみの一日一日と茅森たちの一日一日が交互に繰り返されるあのリズムの心地良さと、その形式でしか表れないコントラストの妙が本当に素晴らしかった。

茅森sideはいつものようにふざけつつも緊迫感の漂う作戦行動の日々であるのに対し、逢川sideは真夏の町で居候暮らしを始めるというKey作品の原点中の原点のような真新しい毎日で、AIR智代アフターやサマポケを愛する者なら誰もが郷愁を覚え涙の予感に包まれただろう。

朝が来て、毎日ちょっとずつ違うアキばあさんの朝ご飯を食べて、色んな○○屋と話して、ジュークボックスで(麻枝准の)音楽を聴いて(本当にありがたい)、釣りへ出掛けて、毎日ちょっとずつ違うアキばあさんのおにぎりを食べて、釣果を見せて、夜ご飯でルミが魚を食べてくれて、住民総出でセラフ放送を観る。一日一日を繰り返すごとにどんどん居心地が良くなって、繰り返しの日々だからこそ祭りの日は特別楽しくて。ルミの言うように、心を殺して働く平和よりもずっと生き生きと輝いた、ささやかで温かな幸せをここまで強く感じることが今まであっただろうか。めぐみがこのドームをいずれ去る日が必ず来るなんて信じたくなかった。

日々、めぐみの気持ちが少しずつ変わっていくのをじっくり感じた。アキばあさんの優しさを少しずつ分かってきて、ルミや人々を守りたいと思う気持ちが少しずつ大きくなっていく。初めは「しばらく世話になるドームだから」と自覚的に線引きをしている様子だったけど、家族になってからはそういったモノローグも減っていた。

そんなめぐみ自身が何も持たない加藤エリとしてイカ釣りから一つずつ愚直に試行錯誤し、家族や住民たちを想って行動を続ける姿に私の心も動かされた。こんなにも人想いで真っ直ぐな人だったと知らなかった。自信満々で戦い、ツッコミとサイキックとタマの教育(?)に明け暮れていたあの頃のめぐみしか知らなかった。イカつい口調に隠された優しさはアキばあさんにそっくりだ。タマたちはきちんとそれを見抜いていて、そういう仲間を失ってしまった。

優しい正義の持ち主だからこそいつまでも心が晴れなかった。セラフ放送を見て寝付けなかった。信号弾を見て一目散に駆け付けた。あんなに平和な日々を送れば送るほど「なんか、すまん」どころではない罪悪感に苛まれていった。

ルミを始め、壊滅したドームから命からがら逃れてきた住民もいた。アキばあさんも関西から避難を続けて千葉で生きている。めぐみは今までドーム住民の過酷な現実を知らないまま戦っていた。

一方でドーム住民たちはセラフ放送をエンタメとして楽しみ、過酷な状況さえ演出と思い込んでいる。軍が「次回、○○作戦。お楽しみに」なんてエンタメ仕立てにしているせいではあるが、生き残っている人類をパニックにさせないための策としては仕方がない。めぐみだけが両方の現実を知ってしまったが故にジレンマの中で苦しめられる。

プレイヤーの自分もヘブバンの戦争をゲームとして楽しんでいる。そして今現実で起こっている戦争についてもテレビやネットの画だけで情報として消費しているに過ぎないだろう。どんな過酷の中で誰が戦っているのか知りもしない。茅森sideと逢川sideが同じ一日のまるで違う有様を辿るように、向こう側とこちら側はいつも並行線を辿っている。

茅森sideは國見sideを内包してもいた。めぐみが加藤エリとして奮闘する間、タマはめぐみと断絶された世界で必死に戦っていた。めぐみを引き留められなかったあのトラウマ的光景はタマの記憶の中のトラウマをも密かに喚び起こし、茅森へと語られた。

おタマさんの心根の優しさは人魚のイベストでも印象深く、陰で健気に鳩を救おうとした過去は実におタマさんらしかった。それでもタマは戦艦指揮のためだけに生まれ、乗組員に思い入れることすら自ら律して戦いに身を投じてきた。その優しい気質を他者に向ける機会を自ら封じてしまっていた。だから軽口を叩き合いつつ自分を助けてくれたメインコンピュータの処分を見送った時、初めて湧き上がった自らの感情を理解することが出来なかった。タマはヒト・ナービィ化する以前から、他者を媒介したアイデンティティの確立が出来ない問題をずっと抱えていたとも言える。

その世界を初めて変えてくれたのが31Aであり、おいタマァ!とビビらせつつ何かと気にかけてくれるめぐみだった。感情を分かち合ってもいい仲間を得たことがタマにとってどれほど大きなことだったか。その今のタマにとって、めぐみを引き留められなかったことがどれほど悔しくて恐ろしいことだったか。

5人での任務を強いられる31A自体も、大っぴらにではないがずっと苦戦していた。蒼井を喪った後の31Bのような立場に置かれ、ビャッコとの協働も砂漠地帯に阻まれ、斬り込み隊の完全体の実力を発揮できないもどかしさがずっと漂っていた。プレイヤー目線でも5人で進む道中はしんどいものがあり、打属性デバッファーのめぐみがいてくれればどれだけ違うかと何度も向こう側のめぐみを想った。

しかも明らかにフラットハンドの比ではない威力のスカルフェザーとかいう絶望が現れた。31Aもタマも相当追い込まれ、それは習志野ドームで放送を観るめぐみの心をも追い立てていった。31Aは今でも軍全体から一目置かれる最強部隊ではあるが相当心配はされていただろう。だからこそ31Cも動いた。

そのような状況で色々な部隊と合同作戦に臨めたことは苦戦する31Aに新たな風を吹き込み、お互いを拠り所に戦う31Aの強みを再度自覚することにも繋がってとても良かった。名前を呼ぶだけで連携する31E、ティータイムで心を整える31Fなどその部隊ならではの戦闘スタイルや絆を目の当たりに出来たのはプレイヤーにとっても楽しいものだった。交流シナリオで一人一人が茅森たちを想って励ましてくれたりしたのもすごく温かかった。前回のフラットハンド戦もそうだったけど、主戦場に出る31Aや30Gだけではなくセラフ部隊が一丸となって戦っている。

めぐみはめぐみで、家族となったアキばあさんの孤立問題を抱えて戦っていた。自身も白い目で見られてきた難しい立場でありながら、住民一人一人と対話を試み続けるめぐみの健気な強さに胸を打たれる。分かって欲しいと切実に願うほどアキばあさんが温かな人であることは、一日一日を過ごしながらプレイヤーの自分にも十分伝わっていた。

汗だくになって血を流してでも届けたかった熱意がついに闇取引屋・小説屋を動かした瞬間のカタルシスは凄まじかった。(祈祷屋お前も凄いぞ) アキばあさんはいつかルミやめぐみのことすら忘れてしまうかもしれない、それでもアキばあさんのために陰ながら戦い抜いためぐみの強さ。

ランタン飛ばしの日、そんな予感はずっと漂っていたけれどまさかと思っていた真実が明るみになり、一人静かに泣くめぐみの姿に涙が止まらなかった。母にとって喪った娘の記憶を引き継いだ存在とは一体何なのか。アキばあさんは今年のお盆もあの子は来なかったと、めぐみがどこかで生きていることを直感している。だが、母としてのアキばあさんの記憶を持つめぐみは隣に帰って来ている。自分がめぐみだなんて言えないまま。

タマもまた、めぐみに誇れる自分であろうともがき続けていた。めぐみを引き留められなかったトラウマは虎徹丸のメインコンピュータがくれた「やれることをやったのだから胸を張っていい」という言葉によって救われたけれど、めぐみの電子軍人手帳を胸を張って渡す日のために今やれることを全てやらなければというプレッシャーは自らに課したままだった。いつもはぎぃやぁぁああ!なおタマさんだが、元々艦長として責任感の強い気質なのだろう。

茅森も心配していたように、積極的に買い物大会や決起会を主催するタマなど今まで見たことがなく、戦闘でも毎回のように前へ出ようとする危うさがあった。タマがこのまま殉職してしまうんじゃないかと少しだけ思い始めた。それを守れるとしたら、やはり救世主しかいない。

終わりが来るとは分かっていたけれど、Day14が最終日と分かって本当に寂しかった。Day7くらいからもうずっとこの日々を続けたいと思い始め、少しだけペースを落としたりしたが結局物語の駆動に乗せられて読み進めてしまった。プレイヤーとしては最後になると分かっているルミとの釣りが信号弾で終わりを告げた時、そうだ、幸福な日常は突然終わるのだと辛辣に突き付けられた。

誰も太刀打ちできそうにない中型キャンサーがとうとう現れてしまった。どうにか出来るとしたらキャンサー追い返し屋もといサイキッカーで元セラフ部隊の自分しかいない。毎日のように交流したり、アキばあさんのことで対話した住民たちが、この生活を捨てるかどうかの瀬戸際に立たされている。全て失ってここに来たルミやアキばあさんが、また全てを失ってしまうのか。

14日間私が見て来た逢川めぐみはそこで何も為さない人ではなかった。フラットハンド戦で皆を失いかけ、救世主ではなかった現実に打ちひしがれ、加藤エリとしてリスタートした、今はセラフも持たないただのサイキッカーのめぐみ。目の前の老いた母に逢川めぐみだと言い出すことが叶わないめぐみ。逢川めぐみなのか加藤エリなのか、自分が誰なのかさえ分からないめぐみ。だけどそんな全ては消し飛び、今ここにあるのはルミたちの日常を守りたいという強い感情だけで、そのたった一つでめぐみは敵うか分からないキャンサーに対峙できる。

ずっと見失っていた自分という存在に明確な輪郭を与えてくれたのは、かつての逢川めぐみの記憶から生まれた訳ではない、加藤エリとしての振る舞いでもない、今の自分から生まれた新しい願い。自分が戦場で何を守ってきたのか、その先にどんな人たちがいたのか目の当たりにした今のめぐみだけが持ち得た戦う理由。

爆ぜろ!と渾身の一撃を放つめぐみを見ながらもうボロボロに泣いた。アイデンティティの根幹を折られためぐみが一人苦しみ抜いたのは全てこの瞬間のためで、救世主という予言は本物だった。良かったね、頑張ったね、と娘を見るような目で頷いてしまう。めぐみを鼓舞する○○屋たちも本当に熱くて、不安がる男どもを嗜めて発破をかける闇取引屋と小説屋の姿に涙が止まらなかった。このドームで家族として過ごせた14日間はめぐみにとっても自分にとっても宝物だった。

ヘリから降りてきたのが山脇様と分かってほっと力が抜けるように涙が湧き出た。恩義のあるめぐみが仲間で在り続けることを信じ、前線に立つ31Aに代わって探し続けていたのだろう。(ぜひイベストで描いてほしい) 戦う理由となる願いをはっきりと自覚しためぐみがそのヘリに乗らない理由はなかった。31Aが5人でもどかしさを感じてきたのと同じくらい、キャンサーと戦う力を失っためぐみの中にももどかしさがずっとあったように見えた。守れる力が本当はあった。今度はそれを「人類」や「ドーム住民」ではなく、幸せを願う一人一人のために。

突然の別れを受け入れざるを得なかったルミは最後まで聡明に、カトエリを逢川めぐみの使命へと送り出した。めぐみが最後まで生き残ってキャンサーを殲滅したとしても、見た目の年齢がいつまでも変わらないめぐみが再びルミと会えるかは定かではない。毎日釣りに出掛けて、一緒にご飯を食べて、ノリのいいルミと住民の会話を聞いて過ごしてきた。キャンサーが出るたびにルミを守ろうとした。ルミのためにもアキばあさんに向いた誤解を一人で解いて回った。そのルミのためだから、戦いに戻らなければいけない。

アキばあさんとの最後の別れは意味が分からないほど泣いた。初めて会った日から毎日毎日謎の荷物を背負っていたアキばあさんが、めぐみの好きだったジャングルジムを組み立てて帰りを待ち続けていたなんて、そんな・・・。タマたちもめぐみの帰りを信じているけれど、アキばあさんは引き留められなかった娘を30年以上待ち続けている。明らかに母と同じ記憶があるのにそれは自分やと言えないめぐみの気持ちを思うと胸が張り裂けそうになる。

どうしたって「あの子」と自分は違う存在だから、「あの子」に伝える言葉を預かることしかできない。その母の愛はたった今、隣にいるまさに「あの子」の続きを生きるめぐみに、長い長い時を経てようやく届いた。真心を手渡された毎日の記憶と共に、アキの娘である誇りをルミに託し、めぐみは家族から独り立ちする。

いよいよ比叡山決戦に臨む31Aは30Gと共に苦しい戦いを強いられていた。プレイヤーとしても相当苦しい戦いだった。凍りつく世界であと何度戦えばいいのか。あんな奴に本当に勝てるのか。それでもプレイヤーである自分は救世主がヘリでこちらに向かっていることを知っており、その瞬間を祈るように待っていた。

30Gと二手に分かれる時、ユイナ先輩とはこれで最後なんじゃないかと不安がってお礼の言葉を伝える茅森が切なかった。離れているけれどRINNNEで繋がっていたユイナ先輩は、31Aやユッキーとはまた別の心強い存在として茅森を支えてくれていた。

まさか本当にユイナ先輩を失うことになるのか。不安も大きかったがプレイヤーとしてはがむしゃらに戦いを進めるしかなかった。正直、手持ちの白河部隊ではどうにもできず一度ゲームオーバーして仕切り直すしかなかったが、ゲームオーバーはあの3章のフラットハンド戦以来でむしろここからが本番だと気合いが出た。二部隊戦により31Aばかり育成してきたことが裏目に出てしまったがメタ的にも31Aの特別な強さを実感できた。しかし、めぐみがいれば。

なんとか厳しい連戦を潜り抜けたがスカルフェザーが砕けることはなく、30Gも取り残されたまま強大な追撃を受けようとしていた。撤退も出来ず追い詰められた状況で囮として無茶に飛び出すのは、やはりタマだ。

おいタマ、もういいんだ、もう十分頑張ってる、命を張らなくていい、救世主にならなくていい、めぐみだって君を認める、だからこんなところで死ぬな!

スカルフェザーが目と鼻の先に迫る絶対絶命の中、落としてしまっためぐみの電子軍人手帳に手を伸ばすしかないタマ。手を伸ばしても虎徹丸は帰ってこなかった。今度は自らの命ごと、めぐみへの誓いを失ってしまうのか。

救世主の声が響いた瞬間、嗚咽が止まらなくなった。めぐみは必ず帰ってくる、それは誰よりもめぐみを信じて待つタマの救世主として帰ってくるに決まっていた。待ち焦がれたその瞬間の情動は言葉にならないものだった。

こんなにもめぐみが頼もしく見えたことがあっただろうか。茅森たち一人一人が答えを見つけて立ち上がったように、めぐみだけにしか出せない答えを抱いて「逢川めぐみ」をもう一度歩み出しためぐみは、心が折れて逃げ出したあの日のめぐみじゃない。斬り込み隊の名を完成させる最後の救世主様や。

6人の31Aでスカルフェザーを倒しにかかる。プレイヤーとしてもついにめぐみを編成した6人で戦える。やっと。ラストバトルだというのに号泣しながら、なぜか幸せに満たされるような穏やかな気持ちで戦った。6人で戦えることが嬉しかった。完全体の31Aならスカルフェザーなんかどうにでも出来ると知っていた。最後の死戦なのに、祝福されたエキシビジョンのようだった。

スカルフェザーを倒せた瞬間の解放感ともまた違う静かな歓びは格別なものだった。14日間の長い長い二つの物語がついに交錯したフィナーレ。帰りをすんなりと受け止めてくれる茅森たちと、泣きながら今日までの想いをぶつけてくれるタマ。ルミたちとは離れ離れになってしまったけれど、31Aの仲間もめぐみにとってかけがえのない居場所をくれていた。

めぐみへの想いと向き合い続けてようやく記憶の中の虎徹丸に向き合えたタマは、もう戦艦指揮のために生み出されたデザイナーベビーではなく、國見タマという感情を持つ人間だった。虎徹丸を失った時だってタマには感情があった。感情移入を禁じ続けて生きていたとしても確かにそこには絆があった。気付いたところで虎徹丸は帰ってこないけれど、めぐみは帰ってきた。

過去のめぐみを待ち続けていた母と、今のめぐみを待ち続けていたタマ。めぐみが今の逢川めぐみとして帰るべき場所はタマの元だった。もうどこにも行かへんとタマを抱き締める腕は、自分が守ると誓ったルミを抱き締めた腕だ。忘れられない贅沢な感情を胸に、めぐみはその腕で守るべき全てを守っていく。めぐみを取り戻した31Aと、それぞれの強さを持つ部隊の皆で人類の営みを取り戻す。めぐみは決してこの戦譚から弾き出されることはなかった。

全てを終えて帰還した31Aの部屋にめぐみもいて、6人がShe is Legendとしても復活するのは夢のような光景だった。いつもは殺伐とした歌詞のシーレジェだけど、新曲の歌詞はめぐみとルミ、めぐみとアキ、めぐみとタマが向け合う想いを歌っているようで涙が止まらなかった。習志野ドームにもこの歌がきっときっと届いただろう。こんなにも大団円な結末が待っているとは、めぐみがヘリで行ってしまったあの朝には全く想像できないことだった。

めぐみよ、31Aよ、これから先どれだけ高い障壁が待ち構えているか分からない。最強部隊の31Aとはいえ永遠の別れを避けられるとは限らない。それでも、それよりもっと高い壁を君たちは既に乗り越えている。真実を知っても、信じられないような強さで互いを思い、自分として生きて戦っている。私もドーム住民同様、君たちの戦いを画面越しに見ていることしか出来なくてすまないが、人類の命運を君たちになら任せられると信じる。めぐみの過ごしたかけがえのない夏と、31Aが辿ってきた激動の日々を抱いて、まだ名残惜しいけれど私も先へ進む。