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ヘブバン[第五章前編]感想

ヘブンバーンズレッド第五章前編『魂の仕組みと幾億光年の旅』備忘録
※ネタバレ注意

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「何故死なないのか」こそが「何故生きるのか」であり、その理由は一人一人が「この私」に問うしかない。
「この私」を見つけた樋口の生きたいという意志がバトンとなってユキに繋がり、ユキの呼吸が月歌の息を吹き返した。

そもそも「この私」はオリジナルではないのに何故戦うのか、31Aと色葉が個々に突き詰めたのが第四章だった。一方で樋口は最初からアイデンティティの保持を前提に二度目の樋口聖華を生き始めたイレギュラーな存在だった。
とはいえ樋口は自死の代償に、美味しいものを喜ぶような豊かな感情を失ったという。研究には没頭しても何が楽しくて生きているのか、いちごがいくら掘ろうとしてもそこには何もなかった。

樋口はたった一人、何も知らずに「人間」として生きる仲間の中で、生の喜びを忘れ、ただ死と向き合って過ごしてきた。素朴に生を肯定するあいつらとは違う自分を生きてきた。
彼女ほどのバックボーンがなくとも、幸せそうな「あいつら」との境界線を引いて生を呪う人間は物語の外の現代には当然のように溢れ、私もまたその一人だ。

そんな樋口に突然二度目の死が迫り、樋口聖華ではなくなる次の生をリアルに想定した時、初めて樋口は「この私」である樋口聖華を見つけた。死の研究も、「あいつら」を見下す精神も何もかも忘れて幸せを謳歌する人間に生まれ変わってしまうことを拒んだ。樋口聖華として31Bのバカな連中を馬鹿にする時間を楽しんでいた自分に気付いた。蒼井の名すら出てきて涙腺が壊れた。

見下していたいから死なない。あいつらのように生を単純に肯定できない「この私」でありたいから生きたい。他の誰でもない、樋口聖華は生きたい。
屈折した、けれども強烈なその願いは自死を止める他のどんな理屈よりもストンと沁みてきて、物語に対する涙を超えて現実の自分の涙が止まらない感覚があった。生きることをそんな風に肯定することが出来ると私もまた初めて気付いた。

樋口以外の隊員も皆が健康な精神を生きているわけではなく、一人一人に苛烈な記憶があり、伊達にせよ小笠原にせよシャロにせよ、死と近接した上で今の生がある。

ユキは、自分を二度現実に繋いでくれた月歌を失った時、アイデンティティの崩壊を超えて生きる拠り所そのものを失った。
生気のない足取りで思い出の場所を彷徨うユキを見ていて心が千切れそうだった。絶望の底でいっそ知性を失おうとするのは当然に思えた。でもそんなのってないよ、と無責任にも感じた瞬間、今のユキに対して無責任ではない言葉を掛けられる唯一の人物であろう樋口が止めに来てくれた。

自死の因果応報で、次の生では豊かな感情が死ぬ。突拍子もない話だけれど、実際に経験している樋口だけが語れる魂の仕組みだ。
月歌がもういなくても、月歌を想う気持ちだけは忘れたくない。月歌を好きになった自分のままでありたい。それがユキの見つけた死なない理由、失いたくない「この私」だった。
そして結果的に、ユキが前を向いたことで月歌との生が取り返される。

一方の月歌は、ユキたち仲間と戦うことに重心を置いてアイデンティティの問題を乗り越えていたけれど、戦いに身を投じる以前に茅森月歌として生きてきたのも「この私」ではないかと知ってしまった。
ならば「この私」が生きてきた過去も肯定できるのか、記憶を辿って確かめねばならなかった。

月歌にとって自らの生を肯定することは、母からの肯定を必須とした。
ひたすら母のために歌ってきた自分は母の本当の娘ではなかった。それを母は許してくれるのか。許されなかったから母は死んだんじゃないか。
精神世界で母と会う度につい「どうして死んじゃったの?」と問いかけてしまう月歌は、いくら思い出を集めても不安で、自分という存在の足場を再び失っていくようだった。だから自分の消失を厭わず本物の月歌を救おうともがくことができたのかもしれない。

結局精神世界は可変の過去ではなく、本物の月歌が辿った運命には干渉出来なかった。その上、地球に来たナービィの悲劇の端緒は自分であると知ってしまった。
自分が茅森家に出会ったこと、月歌の代わりに生きて歌ったこと、仲間と戦ってきたこと、その全てを否定されたも同然だった。セラフも一刀しか呼べなくなり、死の淵にまで追い詰められた。

けれど、それでも、何もかも上手くいかなくても、あの世界で母が梳かしてくれたのは紛れもなくこの自分の髪だった。掃除機を掛けながら母が何度も迎え入れてくれたのはこの自分だった。その時間はこの世界に残っていた。
最後の邂逅と決めて、ずっと懺悔したかったことを伝えられた時、茅森月歌のコピーとして母と生きた自分を感謝の言葉で肯定された時、ようやく月歌は「この私」を認められた。時の中をもがいてもがいてようやく勝ち得た結末に嗚咽が止まらなかった。

月歌の死によって失われるかもしれなかったその結末を守ったのは、生きて月歌に息を吹き込んだユキと、月歌に集まった全セラフ部隊員の祈りだった。
誰に対しても気さくにあだ名で呼んで話しかけ、仲間のピンチは司令を無視してでも助け、誰かが悩んでいたら適切な距離感でアシストし、斬り込み隊の隊長として希望を示し、She is Legendの歌でドーム住民にまで活力を届ける今の月歌に誰もが救われ、皆月歌が大好きだった。

私だってそうだった。月歌救出作戦はプレイヤーの自分も含めた全員の切迫感と本気度がいつもと数段違った。キャンサーとの戦いがこんなにも怖かったのは初めてだ。
だからこそ、月歌の目が開いた瞬間心の底から歓喜が溢れてきて、ほっとして全身の力が抜け、清々しい気持ちの中で温かな涙が溢れた。蒼井を喪った、蔵を喪った、だけど今、月歌を喪わなかった。私は、ユキは、全セラフ部隊員は。

月歌は今の月歌として母に愛されていた。そしてユキが愛しているのは今の月歌で、めぐみもタマもつかさも可憐も他部隊員たちも司令官もななみんもどれだけ月歌を想っているか、これからの日々で月歌の心にもっともっと染み込んでいくよう願う。
月歌の隣を取り戻したユキにも幸あれ。結婚なんて関係をとうに超えた二人に祝福を。

第五章前編はひとまずこんな風に受け止めた。
ある意味、彼女たちが人間ではないからこそより一層人の生を追求する(AI研究が心理学を進めるように)物語を多角的に、深く鋭く進めていて凄まじい。
樋口がセラフ研究員であることがまさかそんな風に繋がるとは予想外だったし、ずっと心配だった31Bがようやく新たな出発を切れて安心した。精神世界で過去を辿る描写はKeyらしい雰囲気に満ちつつ、ミステリ要素もあってドキドキしながら進めた。蔵のために過去を辿った経験を幽かに覚えているユイナ先輩が月歌に助言する展開がまた泣ける。

帯電する関西へ戦いに赴き、パワースポットでめぐみんのサイキックを貯め、屋上で精神世界へダイブする。そんな日々のルーティンを繰り返してそれぞれの課題が進行してきた中、突如予想外の悲劇に殴られて最初は理解が追いつかなかった。
月歌ユキの別離はいつか描かれると思ってはいたけれど今だなんて思わなかった。憔悴するユッキーは本当に見ていられなかった。どうして自分なんかに構ってくれたんだという悲痛な本音に、そんな風に思っていたんだと胸が締め付けられた。

セラフ部隊全力の総力戦(ゲームとしても凄く大変だった)とユッキーの果敢な愛で月歌は救われたけれど、これは都合のいい物語ではなくて、突然命の危機に晒されることも奇跡の生還を遂げることも十分現実に起こる。
樋口が生を願い、ユッキーが生を選び、月歌が生かされたけれど、そもそも彼女たちの生は、エンドロールの先頭に名を刻む麻枝 准自身が大病から奇跡の生還を遂げたところから始まっている。
それに気付いた時、受け止め方が変わってくる。これは今の麻枝さんにしか書けない物語だ。

長いエンドロールを見届け、第五章中編の予告にトドメの衝撃を食らった。いつか来るとは思っていた可憐とカレンの話をいよいよ受け止めねばならないのか。朝倉推しとしては怖さと楽しみが半々だ。
思えば確かに月歌が離脱してからずっとカレンちゃんで、つかさもずっと覚醒していた。半ば漫才化していたあの二人が月歌ユキ緊急時の31Aにおいてあんなにも頼りになるとは・・・。

それにしても次はまさかの「中編」。改めて、これだけのボリュームと密度のゲームを作り続けられるヘブバン制作陣の本気に驚かされた。習志野ドームも今回の精神世界も、一人のために一つの世界を用意する気概がまず凄い。感情をより克明に喚び起こす楽曲の数々と、没入感を最高に煽るキャンサー戦の組み立て、ここぞという場面のイラストとアニメーション、全てが一体となって心を掴んでくる。ちょっと凄すぎて心配になるくらいだけど、関係者皆様なるべく健康に作れる環境であってほしい。本当にいつもありがとうございます。

ヘブバンを愛してきて良かった。麻枝 准を好きになり、ヘブバンに出会えた「この私」として生き続け、いつかこの物語を見届けたい。