Key作品の感想など

5月2日 Long Long Love Songを聴きながら

久々によく晴れた。それも春の穏やかな晴れ方ではなくほぼ夏の日差しだった。

ダラダラ起きて家にいたらうんざりしてきて昼頃あてもなく外に出た。歩き回っていたらバスを見かけて用事もないのに乗りたくなった。

バスは殆ど使わないがたまに乗るたび「Bus Stop」および「Long Long Love Song」を聴いている気がする。夜だと「Love Song」の「氷時計」を聴くことも多いがここは迷わず、夏のように晴れた街を眺めながらLLLSを聴くこととする。

席に座って即「僕らだけの星」を耳に流す。夏が雪崩れ込んでくる。全然夏の歌ではなく冬の歌で、LLLS自体夏の歌など「Rain Song」くらいだがLLLSはやはり夏だ。それは勿論発売が2017年7月26日だったから。

2017年の夏、自分の中で「あの頃」と呼んでいるあの頃は自分の最も良い時間だった。思い出一杯の夏!とかリアル充実ということではなく、何もしないで日々を過ごせた最高の一時だった。LLLSはあの頃を一緒に過ごした友達で、いつも自分をあの頃に帰してくれる鍵のようなアルバムだ。

単語帳の最初の方ばかりよく覚えるように、アルバムの最初の曲ばかり印象が強まることは往々にしてあるが「僕らだけの星」も割とそうで、やはり含んでいる記憶の質が濃い。否応無くワクワクさせられる。

車窓越しの風景も相まってかなり没入していたら、卒業記念に僕らだけの星を探してきみの手を握ったことがまるで自分の記憶のように感じられてきた。今までそんなことはなかったのに不思議だ。居もしない「きみ」の存在がありありと迫ってくる。

続く「Bus Stop」で切ない気持ちに浸る。これも冬の歌なのに夏らしい車窓とよく合う。ある夏に買って聴き続けた"冬の曲"にはそれでも夏の記憶が刷り込まれるということか。

「バスが停まる 次の町へ」でちょうどバスが停まればどんなにエモいことかと毎回思うが毎回そうはならない。大体次の町へ行くほど長くバスに乗らない。とはいえ今日は「もうきみの知らない僕でいるよ」と聴きながら、家でダラダラうんざりしていた自分の知らない自分に今はなっているという気持ちになれて良かった。

「小説家とパイロットの物語」も抜群に良い。音が風景に同化する。ハマり込んでいたらまた自分のことのように聴こえてきて驚いた。居もしない「きみ」が確かに「好きだった」と思う。

結構久々にLLLSを聴いて、女性一人称の曲が多いと今更気付いた。自分(女性)はむしろ女性一人称の恋愛ソングには感情移入しにくい方なのだが今日はやけにシンクロしてしまう。

そんなに長くは乗っていられず、ショッピングセンターの前でバスを降りた。しばらく店をうろついてから再びバスに乗り、帰路もLLLSを聴く。降りてからも軽く歩き回ったりしながら味わった。いやあどの曲も良い。日差しと共に良い音が染み込んでくる。

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夜になり「「Long Long Love Song」制作日誌、時々入院」がどうしても読みたくなり、読んだ。ちゃんと読むのはいつぶりか分からない。購入時ぶりの可能性すらある。安易に読めなかった。

だから凄く新鮮に衝撃を受けた。これだけの衝撃が薄れていたことにまた衝撃を受け、定期的に読み返さないとダメだと思った。

まず倒れてからの数ヶ月間について、麻枝さん、これだけの地獄をよく乗り切ったな・・・と呆然とした。読んでいられないくらい辛く、自分だったら耐えきれないと思った。麻枝さんだって耐えきれないだろうが、耐え抜くしかなかったのだと思うともう・・・何と言っていいか分からない。

生きていてくださったことはとてつもない奇跡で、その後仕事を続けてこのアルバムを出せるまでになったのはとてつもなく壮絶なリハビリの賜物だったんだな、と・・・改めてぶん殴られた心地になる。

私は生きるのがうんざりだの何だの言いつつ自力でフラフラ出かけてバスに乗れる身体で過ごせているじゃんかと、それはいつ崩れるか分からない"当たり前"なのだから有り難く受け止めようと、まあテンプレな感想だがこれは結構切実に思った。

そして麻枝さんが「Long Long Love Song」を作りながら綴った正直な日記が改めて良かった。「売れるアルバムを作れるか」「熊木さんのボーカルの良さを引き出せるか」という葛藤の中で悩み、迷い、もがきながらも愛を込めてアルバムを仕上げていく麻枝さんの日々。それを、一日ごとの描写を積み上げるシナリオの名手かつ超長文ブロガーだった麻枝さんの文章で読めるというのはとんでもない贅沢だ。(文章を書くのが下手と御本人は書いていたが私は本当に好きで、身も蓋もない感じになるところも含めて唯一無二の良さがあると思う。)

思い描いた最高の音楽を一発でディレクションできるような天才ではないからこそ、作って聴いてみてはやり直し、またやり直し、関わる人の顔色を伺いつつもそれを二の次にする勇気を持ち、自分が良いと思えるまで何度でも何度でも作り直し、お金がかかろうと納得できるまでリテイクしてもらい、人の意見も取り入れながら自分の信じた方を進み、苦しみ抜いて最初の想定から逸れに逸れた形こそを是とし、不安と自信を持ちながら作品を送り出すというその、愚直で頑固で人間臭くて、それでいて強い信念に貫かれた創作者としての麻枝 准さんの姿勢に改めて惚れ直した。

生半可な気持ちで聴きたくないと思った。

麻枝さんの命と魂が懸けられたこのアルバム。

とはいえ・・・作品鑑賞は作者個人への感情からは切り離した方が本来は良いと思うし、CDにこの冊子を付けることに消極的だった麻枝さんにとってもそれが本望じゃないかとは思っている。批評においては作者の人格に触れた時点で二流という感じさえある。

でも私にとって麻枝さんは特別で、麻枝さんという人間がどうにも好きで、麻枝さんの制作時間ごと作品を受け取りたくなる。その気持ちは麻枝さんが奇跡の生還を果たしたあの時から本当に強くなっているし今日改めて噛み締めた。

と言ってもLLLSは夏のワクワクした空気を連れて旅に出るような気持ちで聴くアルバムで、曲に没入する間は麻枝さんの影が見えてくるわけではない。いやそれこそが本気で聴くということなのか。本気で聴くって何だろう。

リスナーとしての正解を探る時点で本気ではなくて、それぞれがそれぞれの気持ち良さで楽しめば良いのだろうか。作品と真摯に向き合うこと、作品の向こうにいる麻枝さんと真摯に向き合うこと、難しい。何とも言えない。

確実に言えることは、夏らしく晴れた街をバスの車窓越しに眺めながら聴くLong Long Love Songが一番良いということだ。